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コラム 「ももせいづみの頑張らない子育て講座」 2003-2004 NHKすくすく赤ちゃんに連載
15、「専門用語に振り回されないで」
うちの息子が少2の頃、一時期学校に行きたくない時期があった。この頃、ママ友だちからは「無理やり行かせるとトラウマになり、本当の不登校になると聞いた。行きたくないなら休ませるべき」と言われて、とほうにくれてしまった。トラウマ? 不登校? えー、そんなことまで考えておかないとだめな状況なの、これ? でもそういえば、「おねしょは愛情不足が原因だと思うので抱きしめてあげて」「パートを始めたら反抗がひどくなったのは精神的に不安だから。仕事をやめては」なんて話を周囲でひんぱんに耳にする。
「なんとなく具合が悪い」「意味もなく機嫌が悪い」みたいなことって、子育てには頻繁に起こること。でも、その「よくわからない」状態が続くと、親としてはとても不安だ。だから、原因を探りたくなるし、そこに病名や症例の名前を得られれば、「治す」という解決の糸口がみつかる気がする。
片づけが苦手で忘れ物が多いと「うちの子、もしかしたらADHD(注意欠陥他動性障害)では?」。お友だちができないと「自閉傾向があるのでは」。聞きかじりの情報で、自ら子育てに不安の種を蒔いてしまっているお母さん、増えている気がする。
子育てって、本当は親子の代で経験値で受け継がれていくものなのだと思う。でも、核家族が増えて、私たちは最初の赤ちゃんを迎えるための知識を、専門家が書いた本や講座などで得るようになった。そんな習慣がその後も引き継がれて、つい子育てにマニュアルや回答を求めてしまう。児童虐待や少年犯罪の増加で、幼児期に受けた心理的な影響に関心が向きがちな現代は、ちょっとした心理学ブーム。アダルトチルドレンとか、トラウマなんていう専門用語を普通に使う人も増えている中、子どもがちょっと規範からはずれると、親である自分の能力が疑われてしまうような気になる。そんな不安もあって、つい、いろんな本や口コミから入る情報に敏感になりがちだ。今を生きるママも結構、辛いんだよね。
でもね。子育てって、そう簡単に回答が出るものじゃないと思うのだ。専門家が紹介する他の人の症例や統計に当てはめて解決するというものじゃなくて、時間をかけて、自分たちなりの答えをみつけていく作業の繰り返し。いたずらに情報に振り回されずに、目の前の子どもと自分の直感に自信を持たないと、これからの長い道のり、息切れしちゃうよなあ、って最近よく思う。
ほとんどの子は、専門用語の診断なんて必要なしで、悩みながらも健康的に成長していくものなんだよ。だから大丈夫! 目の前のたった一人の存在と、その子にとってのたった一人の親である自分を信じて。おおらかにいきたいよね!
16、 「お手伝いよりお任せ家事」
最近ちょっとショックな話を聞いた。昨年友人が娘を入学させた私立の女子中学で、最初に「自分で着る服の準備をする」「食器を洗う」などのリストを渡され、毎日チェックするように言われたのだとか。なぜこんなことを? と思ったら、最近の中学生は受験勉強で忙しく、家事や身の回りのことができない子が多いのだとか。
また、あるグループインタビューで「私は専業主婦で家事が仕事。子どもにそれを手伝わせるのは罪悪感があります」と言われたのもびっくり。こどもの暮らす力が萎え始めている。暮らす力は生きる力につながると思う私は、もっともっと子どもに家事をさせてほしい。暮らす能力を身に着けてほしい。でもね、これらの現実、「ママがやるべきはずのことを子どもにお手伝いさせる」という発想では、解決しないんじゃないだろうか、とも思うのだ。
ママと一緒に洗濯物を畳んだり、お米の研ぎ方を教えるのも大事。でも、家事で一番大切なのは「夕食1時間前になったらお米を研いで炊飯器のスイッチをいれないと」とか、「洗物をしたら最後に排水溝もきれいにしておかないと、あとでぬるぬるしちゃう」なんてことが、ちゃんとわかることだと私は思う。これは、思いついたときに「さあ、今これを手伝って」とやらせるだけでは、なかなか育たない想像力の領域だ。
たとえば3歳でも、無洗米を測って同じ量の目盛りまで水をいれ、スイッチを押すことは簡単。うちはこの方法で、息子に炊飯を全面的に任せることから、家事の第一歩を始めた。遊んでいるからとやらなければ、本当にごはんは出ない。ごみ出しも同様。面倒くさいと生ゴミを持っていかなかったら、そのまま玄関に放置しておく。母としてはちょっと我慢だけれど、ちゃんと虫が湧くところまで見届けると、子どもはゴミは必ず出さなくてはいけない、と学習する。こうした家事の想像力を、まずは子どもに身につけて欲しいな、と思うのだ。
まずは、毎日の中にひとつでいいから、子どもにお任せできる家事を作ってみて。最終的に「お風呂に入れる」とか「部屋がきれいになる」結果があれば、それをいつ、どんな方法でやるかにはあまり口を出さず、信頼して任せる。見かねてすぐ手を出したり、代わりにやってしまわない。子どもが自分の仕事に責任を持てるようになると、自然と「どうしたらもっと上手にできるかな」と思いだすもの。細かい家事のワザを伝授するのはそれからでもぜんぜん遅くないのでは?
1歳ぐらいで遊び感覚の家事に馴染んだら、3歳からおまかせ家事をひとつ。小学校の中学年になるまでには、わが家の有力な家事戦力になってもらおう! それも、立派なしつけのひとつ。家事はお手伝いではなく、お任せから。ぜひがんばってみて!
17、「二人目に取っておくコツ」
最初の赤ちゃんで揃えたベビーグッズを二人目のために保管している人、多いですよね。今月はこの上手な方法を。
まず、ベビーベッドやベビーバス、バギーなどの大物。ベビーバスはレンタルより買ったほうが安いこともあるが、保管のためのスペースもお家賃のうち! と思えば、レンタルのほうが経済的。衣装ケースを替りに使ったり、シャンプードレッサーを活用するなど、道具をスリムアップして。
ベビーベッドやA型バギーなどを買った場合は二人目を予定して納戸にしまいこむよりも、思い切って使う人に貸してあげちゃうことをおススメ。道具は使ってこそ手入れするものなので、惜しげなく必要な人に貸してあげる心意気で。ただし、その際に「必要になったら必ず返してほしい」旨をちゃんと伝えることと、使い終わったあとの処理についても決めておくこと。運送が必要なものは、借りるほうが着払いとし、返すときはきれいに手入れをして返すなど、ママ同士のシステムを作っておくととても助かる。
哺乳瓶や離乳食の調理器具などは、衛生面をよく考慮して。傷に雑菌が繁殖しやすいメラミンやプラスチック製のものをさけ、一人目から陶器やステンレス製のものをそろえるようにしたいもの。また、吐いたりこぼしたりが多い乳児の下着類も、長く保管すると不衛生なので、ある程度は見切って、お掃除用のウエスにするなどして処分したほうが、場所もとらない。
なかなか思い切りがつかないのが、思い入れのある洋服類だ。密閉ケースに入れると、独特のにおいがついて、急に思い立ってお友達にあげたい時などにも困るので、とりあえず風通しのいい不織布製の袋などに入れて、納戸や天袋へ。
性別が違ったり、もう赤ちゃんを作らないと決めたら、思い切ってお洋服やおもちゃは処分していくのが正解。ただ、フリーマーケットやオークションでは思い出のあるお洋服を値切られたり、安い値段をつけられることでちょっと凹むことがあるのも確か。もとは子どもが着たり使ったものなのですから、気軽に「いくらで売れる」「捨てる」といった発想を子どもの前で見せたくないなあ、という気持ちが私にあるのも確か。
親も子もお友達に使ってもらうほうがうれしいこともあるので、私は仲間と「あげますパーティ」を開催することが多い。お互いに不要なものを持ち寄って交換したり、お料理を持ち寄っておしゃべりしながら、「大好きだったおもちゃ、次は大好きな○○ちゃんに使ってもらおうね」なんてフォローができるといいなあと思うのだ。
どうしてもとっておきたい服や小物は、写真にとってアルバムへ。一緒に、布の一部やボタンなどを取ってアルバムに貼っておくといい思い出になる。ものは適宜循環させてこそ、大事に使うもの。子ども用品は上手にまわして、処分しながらすっきり暮らしたいものです。
18、「大人は大人の世界をしっかり」
私の通うジムには、乳児とママのスイミングスクールがある。広いプールの半分を埋め尽くしたママと三歳児前後の集団。ある日、このレッスン風景を見ているうちに、不思議な気分になった。親子スイミングに通うのはとってもすてきな選択だけど、ここに来るまでの間にママは準備をして、着替えさせて、そして1時間の間「ほらほら、怖くないでちゅよ〜」と子供目線でしゃべり続け、終わったらお着替えをさせて連れ帰り、お昼寝させて……。あぁ、なんか気が遠くなる。私もこんな生活を必死でやっていたけど、振り返ってみたら乳児のいるママの生活って、ずっとずっとこうだったよなあ、とわが身を振り返って思ったのだ。
家でつけるテレビは、子ども番組。子どもの絵本を読み聞かせ、子どもの好きな映画やイベントに参加し、喜ぶ場所に休日は繰り出していく。ママと集まったら幼稚園や子どもの習い事の話に花が咲き、おうちのメニューは子どもが喜ぶ献立が中心。ねえ、気がつくと、いったい大人の文化はどこにある?
子どもというのは、家庭という大人の社会の一単位の中で、大人を見ながら成長するものだと私は思う。その中で、大人は精一杯子どもを守り、大事なことを伝えていく。でも、最近の家庭って、子育てのために家庭が子どもの世界中心になっちゃってない? 子どもが喜ぶもの、子どものためになるものが選ばれ、子どもの生活時間を中心にママは動いてる。まあ、人生のある時期、そんな時代があってもいいと思うけど、問題は子どもが成長しても、ずっとそんなままの状態のおうち、結構多いよなあ、ってことなのだ。
子どもはね、いとも簡単に成長して、親を越して行く。でも周囲には、ずっとずっと子どもの世界に住み続けるママも多い。で、過干渉の親や、うまく自立できない子どもがいたりもする。本来は、子どもが大人の日常をおいかけて育つはずなのに、大人が子どもを追いかけ続ける状況ってのは、やっぱり変だ。
小さい子どもがいるうちは、思い切り子ども世界を楽しんでもいい。でも、ママもパパもまだ年齢的にどんどん社会人として成長していく時期。ぼんやりしてると、子どもとの生活モードのまま、なかなか大人の世界に戻れなくなっちゃうんじゃないのか。
子どもには食べられないおかずも並び、子どもにはわからない社会情勢や映画や、仕事の話も食卓でたくさんする。子育てと関係ない友達を持つ。将来の夢を持って、子どもの手が離れていくことで空っぽにならない自分を磨いていく。そんなママやパパの日々の生活を見続けることで、子どもは確実に成長する。大人は大人の世界もしっかり。子どものためにも、がんばろうね!
19、「ダブルシグナルって知ってる?」
たとえばレストランで。「何でも好きなもの頼んでいいよ」『ラーメン』「もっと別のもの」『じゃあケーキ』「ケーキはだめ」『ハンバーグは?』「食べきれないでしょ。お子様ランチにしなさい」。
好きにしていいよ、と言いながら、結局ママがほしい答えは決まっている。心で思っていることと、言葉で口に出すことが違う。または、「うん、そうだね」と言っているのに視線は合わせないとか、笑っていても、つないでいる手がこわばっているとか。そうした気持ちと体のサインが違う状態をダブルシグナルというのだそうだ。
本音と建前の使い分けはある程度は必要で、大人はよくこんなダブルシグナルを送ってしまうものだけれど、子どもにはせめて、ストレートに親の気持ちを伝えたいな、と私は思う。ダブルシグナルを送られると、大人だって相手の本意がわからずに不安になることが多い。言ってることと、本当の気持ちが違う伝え方を繰り返していると、子どもは不安になって親の顔色を伺ったり、無意識のうちに親が望む答えを用意したりする。そんな面倒くさいことだけは、自分の子どもにはさせたくないなあ、とよく思う。
子育て中は、いいお母さんになりたくて、周りに対してだけでなく、自分自身にも建前の体裁をとりたくなる。でも、子どもに伝えるシグナルを複雑にしないためにも、思いや気持ちを上手に、正直に伝えられる親でいたい。子どもへの言葉は素直に、ストレートに伝えたいなあと思う。
好きにしていいよと言ったら、本当に子どもの意見を尊重する。謙遜して人前で子どもをけなしたりせず、いいことをしたら人前でもちゃんとほめる。「あなたのためにしているの」と子どもに責任を転嫁せずに、「お母さんはこういう理由でこうしたいと思った」と伝え、子どもに望んでいることが自分の体面や見栄から生まれていないか? と振り返る。自分の言葉にきちんと責任を持つためにも、なるべく主語を自分において考える。私が自分に課しているのは、そんなあたりのことだ。
あれこれ難しく考えるのではなく、要は自分のことをよくわかっているかどうかが大事。子育ては自分育ち。あせらずゆったり、自分の気持ちを振り返る余裕を持って、子育てしたいものだなあ、と思う。
20、「きれいなお母さんは好きですか」
赤ちゃんができると、なかなかおしゃれに気を使えなくなる。装飾品は子どもの肌を傷つけることがあるし、高価な服やスカーフも、よだれや食べこぼしを考えると考えちゃう。ヒールの靴は抱っこのときあぶないし、爪もなかなか長く伸ばせない。
まあ、最近はこのあたり「関係ないよ!」とおしゃれにはげむママたちも増えている。ブランド服にヒールのママに、デザイナーブランド服の子ども連れを見てると、素敵だなあとは思うけど、でもね。おしゃれなことと、きれいなことは違うと思うんだよね。
雑誌に出てる服やアクセサリーを身につけたり、ネイルや流行のお化粧ができなくても。なかなか外出できなくても。きれいなママでいるための工夫って日々の中でできると思うし、子どもを持ってからはそうした工夫こそが、10年後の自分に差をつける! そんな風に私は思うのだ。
まず気をつけたいのが姿勢と表情。あのね。家事ってほとんどの作業が、斜め下向きでするものでしょう? お皿洗い、料理、洗濯、そうじ。子どもの世話をしたり、あやしたり話すのもほぼ斜め下向き。これをさえない表情でやってると、重力の関係で、いずれ確実にほっぺと口角が下向きに下がってきちゃう。いわゆる不満顔。それに、家の中だとスリッパでぺたぺた歩いて姿勢も悪くなりがちだ。
家事も育児もストレスがたまる大変な作業だけど、将来のきれいのためには、なるべく明るい表情で。そのためには、家の数箇所に鏡を置いてみて。ふと気がゆるみがちな自分の表情と姿勢が目に入ったら、しゃきっと直す。外に出る機会が少ないなら、ありったけ自分で見てあげる。そして家の中でもちょっとかかとのあるスリッパを履いて、姿勢を正して。それだけで3割はきれい度増加するのだぞ!
お化粧やおしゃれもいいけれど、規則正しい生活とバランスのいい食事で、体の中からきれいになる。ネイルを塗らなくても指先を整えてクリームを。かかとが白く硬くならないようにお手入れ。靴やバッグ、持ち物はいつも清潔に。子どもへのしつけもこめて、身だしなみのいいママになりたいなあと私は思う。
そして何より大事なのが心の栄養。きれいなものを見て感動する。本を読む、趣味を持つ。そうして蓄えた心の栄養が、10年後、20年後に大きな差になる。おしゃれなママもいいけれど、本当の実力派はそんなきれいなママ。子育てでフットワークが悪くなる時期は、そんな内面のきれいさを磨くにはうってつけ。さあ、あきらめずに姿勢を正して、10年後に差をつけようね!
21、「子どものいる家の大そうじ」
年末が近づくと、大そうじしなくちゃ! とあせるもの。テレビや雑誌でも特集が始まるし、お店ではおそうじ道具のコーナーが特設されて、気になって、忙しい時期でもがんばってしまいがち。確かにおうちがきれいになれば気持ちがいいけれど、疲れきってしまうのでは意味がないのでは。
大そうじは年末に神社仏閣の煤払いをした「大祓い」の習慣が家に取り入れられたもの。家が特別な意味を持っていた時代に、家族総出で畳の表返しや、ふすまの張替えなどをしたのがはじまり。核家族が中心の現代では、家の持つ意味も住まいも大きく変化してきているので、大そうじも見直していいのだと思う。
まず、複雑な場所の汚れ、頑固な汚れは無理して自分でやろうと思わないこと。カビ取り剤や強力洗剤は扱いに注意が必要だし、誤飲やいたずらの危険も。近くに寄せないように作業している間の、赤ちゃんの安全も気になる。
こうした作業は家のメンテナンス費用として家計に計上し、プロに外注する選択肢も考えて。ユニットバスのパネル裏や風呂釜にたまったカビや水垢などもプロならきれいに落としてくれて安心。作業の間は子どもを連れて近くの公園にお散歩に。その間におうちはきれいなっちゃうわけで、事故を防ぐとともに、気持ちのリフレッシュにもなっていいなあ、と思うのだ。
その他の場所は「汚れを落とす」ことを目的とせず、家族のお楽しみイベントと割り切って。年末に計画せず、気候のいい秋のうちにやってしまおう。たとえば休みの日の2時間だけ、パパもママも「ガラスぴかぴかディ」。子どもの年齢に合わせて無理なくできる作業を割り振り、一緒に楽しみながら。時間がきたらさっさとやめて、あとはくつろぐのも大事。
片付けもゴミの収集が早めに終わる12月より、春や秋がおすすめ。子どもの衣類やおもちゃなども、2,3歳になったら一緒に整理して、いるものといらないものの区別を。一緒に作業することは、子どものしつけにもなって一石二鳥なのだ。
大そうじは、家族でおうちに感謝するイベントにしてしまって、「汚れを落とすことが目的じゃない」と割り切ることが大事。一人でガス台の汚れ落としに夢中になるより、「日本にはかまどに神様がいるんだよ。だからありがとうって思ってきれいにしようね」。そう話しながら、一緒にちょこっと拭き掃除。全部落ちなくてもオッケー。そのほうが本来の大そうじの意味に近い気がするし、気持ちも豊かになれそう。
必要な場所は割り切ってプロにお任せ。その他は家族一緒にイベント化して楽しむ。今年の大そうじ、これで乗り切ってみては?
22、「子どもの世界、大人の世界」 昨年のバレンタイン。周囲でこんな話を耳にした。「ねえ、うちの子が○○君にチョコあげたいって言ってるんだけど、でも一応○○君の本妻は△△子ちゃんでしょ。断りいれてからじゃないと、と思って」「あらやだー、○○君ったらもてるのねー。二股かけちゃってるなんて」。
3歳の人間関係に本妻? 二股? 周囲の話を聞いていると、好きとか結婚したいという他愛ない話のほかに、つきあっている、キスをした、浮気をした、三角関係だ…といった言葉が飛び交うことも多く、奥手な(笑)私はいつもどぎまぎ。お堅いことを言うつもりはまったくありません。子どもたちの小さな恋の物語はほほえましい。でも、最近はママたちのほうがおもしろがって、大人の世界の発想を持ち込みすぎていない?
自分の娘を好きだという男の子がいる! 帰りにお教室でキスしたらしい? なんて話を聞くと、「その年でどういうことよ」なんて言いながらも、なんかうれしくなっちゃう。ママ友だちとのおしゃべりの格好のネタにもなるし、恋愛ドラマを親子で楽しく見てるという人も、とっても多い模様。
でもね、私はやっぱり、子どもの世界に大人発想をあまり持ち込みたくないな、と思うのですよね。もちろん、幼稚園児にだって好き嫌いの感情はあるし、気になる異性もいる。子どもが言うんだから仕方ないと言う人もいる。でも、それを親が必要以上に面白がっていないかな。当事者は子どもなのに、いつの間にか自分と一体になって大人発想で対処しようとしてしまうこと、子育てでは結構おきているように思うのだ。
たとえば、子どもがお友だちから仲間はずれにされたと聞くと、自分まで落ち込んでしまって、あれこれ考えすぎてしまう。先生に注意されたと聞いて、自分が非難されたように感じて過剰に反応してしまう。そんなママの話をとてもよく耳にする。
でもね、子どもにおきていることと、自分の問題は違う。親と子どもの現実の間にきちんと線が引けないと、感情的に振り回されてしまうし、安定して子どもをどっしり受け止めることもできにくい。
悲しい思い、嫌な思い、誰かを好きだという思いをしているのは、○歳の子どもであって、ママである私じゃない。「大変だったね、よかったね」と共感はしてあげる。でも一緒に子どもの目線に降りていって右往左往したり、大人発想で必要以上に介入しないという心の持ち方。それって、親である自分をしっかり保っておくためにも、必要なんじゃないかと思います。
23、「言葉にして伝える勇気」
会社をやめた後、しばらく仕事がない時期があった。フリーになりましたと挨拶をして歩いたが、なしのつぶて。世の中は冷たいと嘆いていたら、夫が一言。「君が何ができるか、何をして欲しいかを具体的に伝えなけりゃ、相手もどうしたらいいかわからないでしょ」。なるほど、と妙に納得して、それから「具体的なことを言葉にして相手に伝える」ことの大切さを考えるようになった。
同じことが、子育ての場面でも起きると気づいたからなのだ。たとえば「大荷物でベビーカーを押していても誰もドアを開けてくれないのね」「外国では駅の階段で男性がベビーカーを持ってくれると聞くけど、そんな人誰もいないじゃない」。以前の私は街を歩きながらそんなことをよく考えていた。
確かに、日本はあまり子育てに優しくない国。でも、通行人にただ黙っている私を見て大変さをわかれと期待しすぎるのも、どうなのよ。
「大変なのよ、気づいてよ」とオーラを送るだけでは何も起きない。「すみません、両手が塞がっているのですがドアを開けてもらえないでしょうか」。勇気をだして言ってみる。通り過ぎる人もいるけれど、あ、と立ち止まってくれる人もいる。冷たいと思っていた街に、お願いすると助けてくれる人が多いのは大きな発見で、まさに目からうろこの体験だった。
誰かが何かしてくれるのを待つんじゃなくて、手助けして欲しいことは具体的な行為に移し変えて相手に頼む。「なぜ何もしてくれないの」という否定形ではなくて、「これを手伝ってもらえると、とってもうれしい」と肯定形で。そして、小さくてもしてもらったことにはありがとうって言う。これって、きっと夫婦や友達関係でも大事なんじゃないだろうか。
子育て期はストレスや不安も多いから、「誰か」から「何か」して欲しい、わかって欲しいって気持でいっぱいになってしまうことがある。してくれない相手が憎らしくなったり、結局「どうせ無理だから一人で頑張る」なんて気負ってしまったり。
でもね、赤ちゃんがいれば一人でできないことはいっぱいあって当たり前。だから、一人で頑張りすぎて「誰もわかってくれない」なんて思わないでね。たくさんの人の手を借りて、子どもは大きくなるだから。
誰かに物を頼む時のコツは、「具体的に、してもらえると私がうれしいという肯定形で」。まずは身近な人へ。そして街で。言葉にして上手に伝えるちょっとした勇気を持っていけるといいな、と私も思っています。
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