脱・ゼロ地点家事

「週刊金曜日」に掲載された記事より

 

1、 「家事のユニバーサルデザイン」

 

 「家事の合理化」について、あれこれ書くようになって6年ほど経つ。きっかけは、フルタイムの会社員で子育てをしている時期に直面した、家事との格闘。昼間家におらず、家事ができるのは朝晩合わせて3時間が限度。都心のフローリングの狭いマンションで、それでも私は雑巾がけをし、アイロンをかけ、早起きして掃除機を引っ張り出して奮闘した。疲れた、と手を抜けば家の中は急激に荒れる。荒れれば「ダメな母親だ」と落ち込み、そうして疲弊した末、容易に手が抜ける食事にしわ寄せが来て、インスタントやファミレスと仲良くなる。悪循環だ。

 

この時、はじめて家事は「教育」ではなくて「伝承」であったのだ、と思い知った。私が育つ過程で得てきた家事のノウハウは、祖母や母の時代の知恵が多く含まれている。教育なら内容は最新情報に書き換えられていくが、伝承は時代の変化に容易に対応しにくいということも痛感した。同時に、巷にあふれる家事情報は家事を専業にする人たちを対象に発信されるものも多く、お金をかけずに手間をかけることが美徳とされる風潮もあった。結果、家事は複雑化されて、逆に家事離れを起こす層を生んでいる側面もあるように思った。

一人暮らしの高齢者や、単身赴任者、離婚による一人住まいなど、世帯の形は大きく変わり続けている。また、家事を難なくこなせている人でも、家族の病気や介護などで暮らしが激変することもある。短時間で誰もが簡単に暮らしを維持できる、今のライフスタイルや住宅に合った新しい視点のノウハウが必要とされているのではないか。以来、家事のユニバーサルデザイン化を考え続けている。

家事のユニバーサルデザイン化には、3つのポイントがあると考えている。1つは家事の価値観を見直すこと。主婦は家事の職人ではなく家事の管理職であって、家族のメンバーそれぞれが自分の問題として家事に目を向ける土壌を作るのも大切な役目だ。5感をフルに使う家事作業は、心身のバランスを取るためにもいい。家事のハードルを下げて、簡単に楽しくできる家事を中心に、誰もが家事をやりやすい環境を家の中に作っていく必要があると思う。

 

このためには、道具と家事環境の見直しが必要だ。家事には子どもの頃から見聞きしてきた思い込み情報が多く、自力で合理化の方法を考えるのは結構難しい。そんな時、道具と使い方を変えると、うまくいくことが多い。キャニスターの掃除機をやめてほうきと充電式掃除機を居間に置いておく。平行移動で5歩以内のところにすぐ使える道具があるだけで、「埃やごみを取る」ことへのハードルはぐんと低くなる。手を濡らさずすぐ炊ける無洗米や、夜間でも干す作業なしで洗濯ができる乾燥機一体型洗濯機、食器洗い機など、ハードルを下げるための道具は積極的に取り入れてほしいし、ユニバーサル化に貢献する道具の登場や、家事を効率化する住まいの改良にも期待したい。道具を中心として家事環境を改善していく。これが二つ目のポイント。

最後は外部サービスの充実と低価格化だ。時間やスキルがない人でも、暮らしが維持できるシステムがあっていい。短時間の家政婦、そうじの外注など、普及して欲しいサービスはたくさんある。こうしたサービスが充実し、抵抗なく使えるようになることも、現代ではとても大切なことだと思う。家事をもっと楽しくラクチンにするユニバーサルデザイン化。これからも考えていきたいと思います。

 

 

2、「苦痛になる家事は合理化する」

 

 家事の合理化のアイデアを出していくと、必ず抵抗勢力が出没する。無洗米なら3歳の子どもでも炊飯ができる、と言うと「米を研ぐことは苦ではないし、本来の文化を伝承しないのはまずい」。衣類はハンガーで干して、乾いたらそのままクロゼットに入れれば畳まなくていいと話すと、「服を畳めない子どもに育ててしまう危惧がある」。食器洗い機も「たかが皿洗いの15分の時間を節約して何に?」といった具合だ。

家事は合理化すればいいとは限らない。家事には暮らしを幸福にするエッセンスがたくさん詰まっている。シーツがぱりっと乾く幸せ、旬の野菜を調理して食べる悦楽。いずれも失くしてしまっていいものではないのだが、ただ状況によって苦痛になる家事があるのだとしたら、合理化していい。その上で、幸福をもたらす家事を楽しむ。自分にとってのこうした家事のあり方を整理する上で役に立つのが「ゼロ地点家事」発想だ。

誰にでも、「家の中がこうなっていれば問題なし」と思う状態があるものだ。これは人によって差がある。埃ひとつなく片付いている状態を期待する人もいれば、乱雑でも冷蔵庫さえいっぱいなら満足という人もいる。この「その人が居心地のいい家の状態」をゼロ地点と呼んでみよう。

 

このゼロ地点は、放っておくと常にマイナスの状態に転じる。散らかる、汚れる、食料がなくなる……などだ。日々の家事は、このマイナスに転じた状態を、元のゼロに戻す作業でほぼ占められる。一人暮らしなら、自分で生み出したマイナスをゼロに戻せばいいが、家族がいる場合は、自分以外の人間が日々生み出すマイナスを、ただただゼロに戻し続けるのが日常家事の現実なのだ。しかも、いくら頑張ってもゼロに戻るだけだから、家族には特にありがたられない。忙しかったり体調が悪いとゼロにさえ戻らず、マイナス状態の家の中で焦燥感に駆られる。

 

この「マイナスをゼロに戻す行為」としての家事だけに追われると、プラスを生み出す家事を楽しめる余裕はなくなっていく。だから、苦手だったり負担となっているゼロ地点家事は合理化する。また、マイナスにした人が簡単にゼロに戻せる環境を家の中に作って、作業を分散させる。自分にとってのゼロ地点家事を洗い出して、まずはゼロに戻すための労力を最小に抑える工夫をしてみるというのは、逆にプラス家事を楽しめる時間を作るための、有効な手段なのではないかと思ったりする。

皿洗いが常に気持ちのプラスを生み出すという人なら、思う存分楽しめばいい。でも、手あれがひどいとか、夫婦で皿洗いの攻防戦をしているぐらいなら、割り切って機械に任せる。お風呂は最後に入った人が、簡単に掃除をすませて出るようにしたり、食事前5分は、家族全員でテーブル周りを整理するといったルール作りをして楽になったという人もいる。

私にとってのゼロ地点家事はそうじだ。このため、3LDKの自宅は各部屋に掃除機が置いてある。洗面台にはそのまま片手で使えて、使うたびに適宜洗剤が出てくるブラシが。風呂場には洗剤なしで汚れが落ちるスポンジが。いずれも、汚れに気がついた人がすぐ手に取れる道具を家中に配置した。これで、特別な「そうじの時間」を私が背負わずに済む工夫をしているのだが、この効果はかなり大きい。代わりに、余裕のある日には手の込んだ料理を作って楽しむ。

 

ゼロ地点家事を整理する発想、意外といい気分転換になるのでは。

 

3、「家電製品の上手な利用方法」

 

 家事の省力化に家電のもたらす効果は大きい。これまでも洗濯機や電子レンジなどの出現は、暮らしの風景やライフスタイルを変えてきた。電力消費は抑えるに越したことはないが、上手に使うことで得られるメリットがあるなら、私は積極的に取り入れたい派だ。

ただ、最新の技術を取り入れれば家事は省力化するというわけでもない。すでに成熟期を迎えつつある日本の生活家電市場の中では、自分の暮らしに合致した機能を賢く選んで使う知恵が必要だ。

例えば洗濯機。最近は洗濯乾燥一体型が売り場の前面で主流を占めているが、ドラム式は洗濯だけでも時間がかるものが多く、乾燥まで行うと、終了まで300分以上という機種もある。一日に何回も洗濯機を回す家庭なら、洗濯時間はシンプルなたて型の全自動洗濯機のほうが短い。

 

また、一体型を買っても最後の乾燥まで使っている人は少ないようだ。たまにしか使わない機能だから一体型が場所をとらないという考え方もあるが、使わないものに高額を投資するのも無駄。雨降りや皺伸ばし程度に使うなら、安価な送風乾燥機能だけがついた全自動洗濯機でも十分機能する。

現代の家電は新製品だから使い勝手がよくなっているとは限らない。メーカーは高機能化を図り、新機能を搭載することで低価格化が進む市場価格を一気に押し上げようとするが、シンプルな単機能のものを選ぶほうが、ライフスタイルに合致する家も多いと思う。

また、メーカーや機関が公開するデータもきちんと読み解く必要がある。松下が先だって発表した洗濯乾燥一体型は、乾燥時の冷却水を使わない新技術の開発で節水するのが売りだが、そもそも従来のドラム式洗濯乾燥機が乾燥時の蒸気を排水に流すために無駄な水を使っていたのであって、上置き式の衣類乾燥機や、簡易乾燥機能がついた縦型の一体型洗濯機では、元から使わずに済んだ水が節水されているだけ、という側面もある。

 

一方で、食器洗い機が節水するというデータは信憑性が欠けるという国民生活センターの調査結果も発表されたが、これも使われ方によって大きな個人差が出てくるデータだ。少しの洗い物は手洗いで済ませ、汚れた皿を予洗いしてセットするような使い方では、食器洗い機は手洗いより水を使うことがある。しかし、まとめ洗いを心がけ、皿用のへらなどであらかじめ大まかな汚れを落としてセットすれば、手洗いより節水する。家電はボタンを押せば誰でも結果は同じとうわけではなく、使われる環境、使い方の工夫で左右されることも多い。水や電気を使っても、もたらされる副次効果が大きい場合もある。道具に頼りきるのではなく、データを読み解き、広告に踊らされずに使い方を工夫していく生活者の目も必要だ。

高機能化する家電製品は構造が複雑化しているため、修理費用が高額になったり、製品寿命が短くなるなどの弊害も起きている。電子制御を使うものは、初期エラーの発生もある。新しい機能が搭載された商品については、性能が落ち着くまで多少の期間を置いたほうが間違いがないし、購入時には修理体制や、修理の費用まで確認するのも大切。使い手の意見も積極的に伝えていきたいものだ。

家電は上手に使えば、家事のユニバーサルデザイン化を推進する大きな力になる。新しい家電を家族で選んで、みんなで使い方を研究する。道具を拠点に家族の連帯感を作るというのも、賢い家事の知恵なのでは。

 

4、「視覚記憶を利用してユニバーサル化」

 

 おいしい出汁の取り方や、シャツの上手なアイロンがけのプロセスなどは、本や雑誌から情報を得て試すことができる。でも、床が汚れたら何で拭くのか。ぞうきんだとしたら、普段そのぞうきんはどこにしまうのか。ぞうきんは買ってくるのか、縫うのか、タオルを裂くのか。バケツで洗うか、洗面所で洗うか、洗濯機か。このあたりはとっさに育ってきた中の視覚記憶をたぐりよせて、無意識に踏襲していることが多いのではないかと思う。

ちなみに私の実家は、ぞうきんを洗面所の排水パイプに干していた。結婚後に住んだ家がユニット洗面台で排水パイプが露出しておらず、ぞうきんを干す場所を探して途方に暮れたが、寝る前に台ふきんを洗って干すのか、湿ったまま畳んで流しに置いておくのかでけんかしたという夫婦も知っている。いずれも、本や雑誌が正解を教えてくれる類のものではない。

 

家事作業の多くの部分はこうした「視覚記憶」から成り立っていると私は思う。日々の「ゼロ地点家事」(散らかったり汚れたり、消費されてマイナスに転じていく家の中を、元の状態ゼロに戻す作業)の中身は、ほぼこんなささやかな視覚記憶の寄せ集めで構成されていて、無意識に踏襲していることだからこそ、自力で方法を変えたり合理化することが難しい。

当たり前だと思って繰り返しているさもない作業の中に、合理化の種が眠っていることがある。そんな視覚記憶で構成された家事のプロセスを変えていくには、初回でも触れたが「道具とその置き場所や使い方を変える」のが早道だ。

 

当たり前のように揃えている流しの洗いかごや洗いおけ、三角コーナーは本当に必要なのか? トイレマット、ふきん、ぞうきん、すべてリストラしてしまっても何も困らないし、逆に洗って維持する手間がなくなる分、家事作業は格段にラクになる。代わりに食器洗い機を利用して、乾いたハンドタオル(カウンターにひろげて洗った皿を伏せたり、台ふきんの役割もかねる)をストックして、惜しげなくつかって最後に洗濯機で洗う。使ったら廃棄できるぼろ布をセットしたぞうきんモップや、霧吹きがセットされた使い捨てシートのぞうきんがけモップを常備して、ぞうきんをリストラしてみる。幼少の頃からの視覚記憶をまず疑うことから、ゼロ地点家事の合理化が進むこともあるのでは。

 

この視覚記憶。無意識の思い込みで手間を増やしてしまう側面もあるが、逆に家庭内における家事のユニバーサルデザイン化のために、上手に利用してしまうという手もある。例えば、家族みんなに参加して欲しい家事があるなら、無理に手伝わせる形ではなく、自然と目に入る場所で、繰り返しやってみせて記憶にインプットしてもらうという方法だ。

きれいで使いやすい道具をわかりやすく家の中に配置して、家族に見える場所でそれを使ってみせる。「あ、埃があった。これで拭いて、使い終わったらここにしまっておけばラクチンよね」と、道具のありかと、使い方を視覚の中にさりげなく収めてもらうことを繰り返すことで、家事のプロセスを記憶に蓄積してもらう。断片的な家事を指示して手伝ってもらうより、効果があることもある。

家事は一人でもくもくとせず、なるべく家族がいる家の見える場所で! そんな無意識の視覚記憶の積み重ねを暮らしの中にきちんと確保するというのも、子どもたちへの大切な家事教育のひとつではないかと思っている。

 

5、「石けんも洗剤もいいところどりで」

 

 数年前から、石けんと重曹以外に市販洗剤をほとんど買わなくなった。汚れのメカニズムがある程度わかれば、家中の汚れはこれでほとんど落ちることを知ってからは、もっぱらこの二つだけ。

週刊金曜日の読者の方なら重々ご承知のことかもしれないが、キッチンの頑固な油汚れは重曹と石けんのコンビできれいに落ちるし、風呂の汚れも体用の石けんやシャンプーで落ちる。石けんで汚れを落としたあとに、酢を薄めたものやクエン酸をしみこませたぞうきんで拭き取れば、石けん分は中和されてぬめりもなくなり、水で洗い流せない場所のそうじが格段に楽だ。何より洗剤特有の臭いもなく、手あれもしにくいので、素手で調理や入浴の合間にそうじができるようになった。ハイテクと逆方向に行くことで合理化が進むこともある。これは眼からうろこ。

 

少し前、家電や住宅メーカーの作った最先端のエコハウスを見学したことがある。指紋認証やセンサーで不審者を絶対に家に入れないセキュリティ技術。家全体を管理するエネルギーシステムに、屋上は緑化されてソーラー発電がされ、コンピュータのプログラムにより、照明は朝と夜で明るさや色を変える。暮らしを安全に便利にするために研究と開発を続ける技術者の姿勢は日本の底力だと思うので私は大好きなのだが、ここまで家の中が便利な設備に包囲されると息苦しい。使用方法を覚えるだけで一仕事だし、メンテナンスも大変だ。何より設備投資が膨大。

日々の同じ作業の繰り返しとなりがちなゼロ地点家事の合理化のためには、便利な商品やサービスをどんどん取り入れたほうがいいと思う私だけれど、暮らしが「商品として用意された便利さ」で埋めつくされていくと、その商品を管理するための手間やコストがかかっていく。どんなに便利なものができたとしても、やはり暮らしの中に自分なりの創意工夫をして、小さな発見や達成感を積み重ねて日々を過ごしたいものだと思う。

 

石けんや重曹は、こうした「自分なりの工夫を必要とする」ニーズに合致したためか、このところかなりのブームだ。以前は生真面目なエコ的視点から語られることが多かった石けんも、ナチュラルでおしゃれなテイストを好む女性たちが手を伸ばすようになった。素敵なことだな、と思うけれど多少の懸念もある。

ひとつは、探究心やエコ志向が行き過ぎて、家の中から市販洗剤を駆逐してしまうこと。自分なりの創意工夫で家を埋め尽くすと、家族が使い方がわからずに手を出しにくくなることもあり、その意味では用途が一目ではっきりわかる市販洗剤は、誰でも簡単に使えるというメリットもあるのだ。

 

もうひとつは、アルカリや酸性である石けんや酢が、住宅の設備機器を痛める可能性もあるということ。最近は床や便器などにコーティングされているものがあるが、これは酢で拭いたり重曹でこすると加工がはげる。中性洗剤が生まれた背景にはそれなりの理由があるわけで、ナチュラルだからすべてOKというのも注意が必要だ。

重曹にはまってから、ドラッグストアの洗剤がすべて毒に見えるようになったという知人がいるが、「市販品を拒否して買わない」スタイルだけでは、消費者の意見はなかなか伝わらない。新旧とりまぜた様々な方法を塩梅よく取り入れながら、流通商品を作るメーカーへ意見を伝えることも消費者としての大事な役目だと思う。ゼロ地点家事の合理化には、そんなバランス感覚も必要だと思う私です。

 

 

6、「子どもに家事を定着させる法」

 

 息子の通う小学校で「トイレが臭いため、子どもが学校で用が足せず辛い思いをしている。トイレを洋式に改装して欲しい」という要望が、保護者から繰り返し出た時期がある。確かに学校のトイレは臭い。が、担任に話を聞くと「おしっこで床を汚したまま、大便を便器の外にしたまま、生理用品を床に落としたままの子どもも多い」のだという。一部から「子どもにトイレ掃除をさせよう」との提案もあったが、これは「衛生上の問題から却下」。対応策は、業者のそうじ頻度の増加。うーむ。

中学受験で娘を私立校に入れた知人は、入学式で生活表なるものを渡された。「朝は自分で起きる、着る服を自分で管理する、家の手伝いをする、靴を揃える」。なぜ今頃?と驚くと「勉強優先で親が先回りしてすべてやってしまい、生活の基本ができない中学生が増えた」と説明を受けたのだとか。

 

身の回りを整え、家を快適に維持して清潔な服を着て、うまいものを食べる。こうした暮らしの能力は、そのまま生きる力につながっているように私は思う。自分の見えない場所で業者がトイレを掃除し、学校に行っている間に家が片付き、服が洗濯され、買い物が済んで食事の準備ができているのでは、「家事が必要なきっかけに気づき」「しなかった結果を知る」機会は失われてしまう。はっと気づいて行動に移す。その力は、暮らしの積み重ねから生まれるものだ。

 

主婦は家を快適に整えることに役割を感じがちだが、先回りして家事を済ませてしまうことが、子どもの暮らす力、生きる力を奪うことになっていないか、考えてみることも必要かなあ、と思う。

ということで、わが家流こども家事の手法。まず「家事は子どもに見える場所でする」。これは前々回で触れた「視覚記憶」を蓄積してもらうためにも大事。道具はわかりやすい見える場所に収納し、「あ、汚れが」「これを使おう」「ここにしまおう」と声に出して日々の家事を見せる。次に「家族家事の時間を作る」。土曜の午前中は全員で1時間だけそうじをするとか、季節ごとに模様替えや大掃除のイベントを家族でする時間を確保する。毎日、寝る前の10分は全員で居間を片付けてから寝るというルールがある家もある。家事に参加して、家の維持の責任の一部を自分が負っているという実感をぜひ持ってもらいたいからだ。

 

次のステップが「お手伝いではなく、完全におまかせする家事を一つ担当してもらう」。うちではまず無洗米と炊飯器による炊飯を、3歳から。風呂の準備を5歳から任せた。任せたからには、細かい出来には文句は言わない。硬い米も「残念だねえ」と言いながら食べる代わりに、やらなくても手は出さない。おかずしか並ばない食卓を見て、はじめて自分の責任を思い知るというわけ。かなり忍耐も必要だったが、今では自ら米とぎを研究するようになった。習慣が根付けば、方法は工夫するようになる。子どもにはつい「方法を伝授する」ことに意識が向きがちだけれど、まずは「自分の責任として結果を学ばせ、習慣づける」ことも大切なんだなあ、と思う。

最後にもうひとつ。主婦は積極的に家を空けて、家事を家族に明け渡す。「私がいないとダメだから」とか「任せるとろくなことがない」なんて思わないことが、家族の家事能力、ひいては生きる力を育てるようにも思う。誰もが無理なく参加できる家事の環境と機会を作ることも、家事を管理する人間の大切な役目だ。うちもまだまだ頑張ります!

 

7、「CMや広告にまどわされないで」

 

 先日中古マンションに引っ越した折、リフォーム後の新居のそうじを母に手伝ってもらったのだが、始めて間もなく帰ってしまった。うちには重曹や液体石けん、住まいの中性洗剤に研磨スポンジを揃えていたが、「強力洗剤もガラスクリーナーも風呂用洗剤もないから、そうじできない」というわけ。

母の世代ですでに、家事のノウハウが市販の商品をもとに成立している。商品を買って、企業の販売目的のノウハウを踏襲することで楽になる部分もあるのは確かだが、気づかぬうちに手間やお金、環境への負荷がかかることを繰り返している側面もあるはずだ。

日々散らかり、汚れてマイナスの状態になる家を元通りの状態=ゼロに戻すために必要な家事をゼロ地点家事と捉え、こうした単調な繰り返し作業は合理化すべきだと考えてきた。合理化した上で、暮らしに潤いをもたらすプラス家事を楽しむ。そのためにも、便利な商品、サービスを有効に活用していくのはとても大切なことだ。

 

ただ、それはあくまでも基本となる家事の伝承があった上で、主体的に消費者として商品を選ぶのが前提。実際にはCMや広告、店頭ディスプレイ以外に家事のノウハウが目に入る機会は少なく、主婦雑誌も企業スポンサーの影響を大きく受けがちだ。家事が商品情報に依存している現実があるようで、危惧を感じることが多い。

 

私の周囲でも「お昼寝布団に消臭スプレーかけてね」「家の中もバイキンがいっぱいだから、ハンドソープで手を洗いなさい」……といった会話が当たり前のように交わされている。文字情報よりも、テレビCMから入る映像と音の影響は大きく、何も言わなければ息子は歯磨き粉を歯ブラシいっぱいに乗せるし、義母は除菌のためとコンパクト洗剤をまな板に塗る。

家事の伝承が行われないところに、広告の映像として商品情報が大量に流れ込んでくると、売り手に都合のいい商品の使用方法がそのまま家事の手法として刷り込まれてしまう。家事教育は家庭に一任されてきたのも確かだが、伝承が稼動しにくくなっている現代では、学校や社会も商品情報に偏らない家事のノウハウを伝える努力も必要だと思う。特にCMの影響を受けやすい子どもには、ぜひ。

ちなみに、私には見るたびに嫌な気分になるCMがある。ちょっと前の「夫の靴下を一緒に洗うとバイキンが移っちゃう」という洗剤のCM。「帰宅したとたんに夫の服に妻が消臭スプレーを吹き付ける」CM。夫や父親の衣類や寝具が臭うという声はあちこちであるようだが、だからといって公共の電波で「夫や父親は臭い」と映像で続けていいものなのか? そこはかとなく眠ったままにしておいていいニーズを、商品という形に具現化して、暮らしの中に映像や音で流し続けることの責任。消費者として見極める姿勢、問う姿勢を忘れたくないなあと思う。

 

家事の合理化に道具を変えるのは効果的なのだが、もうひとつ。道具を選んで買う場所を変えるのも、大切なひとつの手だ。生活半径では、どうしても販売力のある大手メーカーの商品が目につきやすく、CMや広告の影響も受けやすい。通販や宅配、インターネットを活用することで、大型店舗では売り場に並ばない商品の中におもしろいものがみつかったり、使い手の視点のアイデアや口コミに触れることもできる。「買う場所を変える」ことも、ゼロ地点家事を考える上で有効。その意味でも、多様なメディアで良質な家事情報が流通することを期待している。

 

8、「シニア世代の家事のありかた」

 

 94歳を過ぎてもかくしゃくとしていた祖母の、最初の異変に気づいたのは叔母だった。自室の食器棚に食べかけの弁当が大量に押し込んであったのだ。自炊が辛くなりコンビニ弁当を買ってくるが、量が多くて残す。捨てれば同居家族に知られて老いを認めることになる。プライドの高い祖母は弁当の残飯を食器棚に詰め続け、腐敗が異臭を放つようになる頃から、急激にぼけの兆候が始まった。

清潔で快適に暮らし、おいしく栄養のあるものを食べ続けるためには、思った以上に大きなエネルギーを必要とする。私がずっと違和感を抱いていたのは、世の中の家事情報の多くが「健康な大人」向けに作られがちで、その視点の先にはいつも「家族」が見え隠れしていることだった。祖母の食器棚で腐り続ける弁当箱の残像を思い起こすたび、最小の労力で、必要最低限の生活の質を維持するための家事のノウハウやサービス、商品がもっと欲しい、と思うのだ。

 

それまで家事に熟練してきた人でも、加齢による心身の変化で十分なエネルギーを割けなくなることもある。長い人生では、一度蓄積した家事のノウハウをサイズダウンしていく知恵も必要で、この視点から家事の合理化を考えることも、大切なのではないかと思う。

私が現在注目しているのは、シニア世代の食だ。一人や夫婦用の献立は若い世代向けのものが多く、食体験を積み重ねてきた世代が、健康も考慮して少量を簡単に作るノウハウは意外と少ない。料理本のレシピは家族向けの量が主体で、材料を揃えるとシニア夫婦や一人では無駄が多くでる献立もある。また、家族単位で食事を作り続けてきた主婦は、子どもの独立で夫婦二人になると量の感覚が狂い、それまでのレパートリーがうまく作れなくなるという話も聞く。

 

例えば将来に備え、消し忘れ予防のためにも火はIH調理器や、センサーつきのガス台に替える。これなら自動で火加減を調節してタイマー消化する炊飯ボタンがついているので、米は毎食2人分だけを土鍋で炊く。炊飯器より格段に早く、セラミック製のなべを選べば、残った米は鍋ごと蓋をして冷蔵庫に保管でき、翌日そのままレンジにかけるか、スープや具を入れて加熱すれば手間なく一人分の雑炊ができて便利だ。

炊飯ジャーに残る米はまずく無駄になりがちで、冷凍ごはんをチンするのもわびしいという人は多い。手間をかけずに少量の米をおいしく無駄なく簡単にいただくノウハウは、人生の終焉まで食生活を自力で維持させていくためにも、とても大切なのだと思う。タイマーつきのIH調理器やガス台は、グリルで魚を焼くのも自動なので、管理が簡単で気がラクだ。

 

シャープが昨年出した「保温庫のついた冷蔵庫」もおもしろい試みだ。家族がいた頃の習慣でつい多く作ってしまうお惣菜は、ラップしてレンジにかけて再び食卓に載せるとわびしい。「保温した状態なら、作りたての気分でまた食卓に出せる」というシニアユーザーの声があったと聞き、食を維持する手間だけでなく、心理的な抵抗感や負担感を軽減するアイデアも、また必要なのだ思った。

スーパーで野菜や肉を使うだけ少量買える仕組み、おいしく添加物の少ない弁当やデリバリーサービス、食べきれる量のお取り寄せ品の充実なども切に期待。充実したシニアライフをまっとうするためにも、家事の合理化を。自身の年を積み重ねながら、これからも追いかけていきたいと思う。